広く浅い系のどうしようもないオタク

精一杯映画について書いたり、書かなかったり。自身のFilmarksからの転載もある。

映画「すずめの戸締まり」振り返り、自然災害と天罰

そこそこ面白かったと思うが、モヤモヤした箇所も沢山ある。

一緒に見た知人は前作「天気の子」よりも良かったと言っていたが、私としては全体の完成度は、新海誠作品の中でも中の下くらいではないかと思う。(それでも安定して面白い作品を作れる新海誠は稀代のヒットメーカーであることは間違いない)特に自然災害の描写に強烈な違和感を感じた。
以下良かった点と悪かった点、気になった点を振り返りたい。

良かった点

・主人公の描写がキモくない。家族で見やすい。

「君の名は」では微エロ描写があったりと、家族で見るにはきつい描写もあったが、どんな年齢層にも見られるように作ってあるように感じた。懐メロなどを取り入れ年配の層への関心も得られるだろう。

・恋愛万能説からの脱却

昨今の新海作品にありがちな物語のハイライトに恋愛を持ってくるせいで、映画内で起きている問題が陳腐になりがちなところを、今回は主人公の自己理解というファクターが物語上の鍵となっている点は評価できる。
「君の名は」では危機とか色々あるけど結局は恋愛の話であったり、「天気の子」では物語と恋愛の関連性が高く、改善されてはいるが結局のところ恋愛の話である。(それでも両方名作だと思うが)
対して「すずめの戸締り」では主人公が震災後のおばとの関係性や自分自身について再考し、それがミミズを鎮めることに寄与している。恋愛も理由の一つではあるが、すべてではないことに進歩を感じる。

RADWIMPSを感じない

「君の名は」からの起用に疲れを感じていたので、作中ボーカルありの曲が少ないのは良い。断っておくと個人的にはRADWIMPSは好きだ。
懐メロを使うこともロードムービーとして郷愁が引き立って良い。

・震災がテーマであること。

本作は主人公すずめの記憶に蓋をしていた震災のトラウマを、自身が懸命に生きた10年間を思い返し、克服するといったストーリーである。
私も「もう十年前のことか」と当時を思い返したり、これまでの10年間にも思いを馳せることができた。この経験は大変意味のあることだと思う。
ただその反面、後述する大きな欠点も内在している。
シン・ゴジラ」などのメタファーとしての震災ではなく、直接描かれている点。
ロードムービーとして最終地点にそれを持っていく驚きと恋愛要素を減らし、色々な年齢層に向けて震災映画を作ることは評価できる。

悪かった点

・閉じ士という存在。

強烈な違和感を覚えたのは閉じ士の描写である。
本作では扉から出てくるミミズが地震を起こすので、その前に閉じ士なる人が扉を閉めることによって防ぐ。そして扉は人々がその場所を忘れると開き始めるらしい。
しかしよく考えてみれば、国全体で閉じ士を育成し、組織化して、給料もでる職業にすればすべての地震は未然に防げることになる。
ここで閉じ士の超常的な力は一般の人にはわからないので、組織化ができないのではないかという反論には、閉じ士は100%地震を予測できるので、現代科学を超えた未知の力を証明できるし、常世(ミミズ)が特定の条件下で現実世界に干渉していた。例えば、すずめがミミズに乗って空を飛ぶシーンとか、扉からミミズが出てきて石や水がとばされていたので、一般人でも干渉された物質を見ることはできると思う。なので閉じ士は一般人への説明を怠り、人命を危険に晒したことになる。
端的に言えばこの作品において震災は閉じ士の怠慢によって起こることになる。
これは詰めの甘さというより、思想の影響もある。次の項目で更に指摘したい。

・災害が天罰として機能しているところ。

 
今作の「人々がその場所を忘れる→扉が開き地震が起る」という一連の流れはいわば天罰である。
以前より新海作品において、自然災害を天罰とすることは疑問に思っていた。
前作「天気の子」では天気を操る代償に巫女を生贄捧げるという話を、終盤に主人公が異常気象を自分たちの責任であると認め、それでも一緒に生きていこうというメッセージで終わる。
ある意味天気を操った代償に罰として生贄を要求している「神」のような存在を仮定している。
しかし「天気の子」において、異常気象の是非は人間に委ねられており、普通に生活を続ける人間もいる。主人公は責任を認めた。
これは異常気象が人間の自然破壊から生まれたものとして扱い、反省して改善に努めるというテーマとも受け取ることができる。
これは雨が「恵み」とも「災い」とも取れるものなので成立しているようにも思う。

対して「すずめの戸締まり」では地震を取り扱っている。
地震は人間の環境破壊によるものではないし、まして誰かに責任なんてものはない(行政、政策上の反省点は勿論あるが)。
なのに地震が起ることはつまり、人々がその場所を忘れたために起こる「天罰」であり、忘れることは悪である。
かなり一方的であり、それこそ「神」が決めたようなルールでフェアではない。
ただ「震災を思い出すことで減災につながり、忘れることで人々は慢心することを伝えたいのでは?」と考えるか方もいるかと思う。
しかしその判断に神からの圧力は必要ないと私は考える。
すずめは自分がこれまで10年間生きてきたという事実を「思い出す事」によって、トラウマを克服することができて、自身の生きる道を自分で切り拓いた。
なのに同時に神からの圧力があったから「思い出し」地震を鎮めたと取ることもできて、すずめの自発的な意思が失いかねない。
そしてこれから震災について思い出すことは、神からの罰を避けるためであると捉えられてもおかしくない。
それは人間の意思が介在しない、神の恐怖に怯え、庇護に縋る自助とは遠い世の中ではないだろうか。
監督はミミズを意思のないものとしているが、意思はなくともこれは神罰の具現化だと思う。

気になる点

・メッセージは伝わったのか

ただ震災を忘れてはならないというメッセージ自体は意味のあることだと思う。
先ほどは色々書いたが、勿論現実世界にフィードバックする際にはミミズや扉のような存在は排して良いので、意義のあるテーマだと思う。
特にすずめと同じく、幼少期に震災を経験した今の10代には、自身と登場人物を重ねて色々考えてみて欲しいと思う…が果たしてちゃんと伝わったのかは少し怪しいと思う。

なぜなら、毎回ほぼ初日映画館に行くと、必ず中高生がいて、必ずエンドロールの後に「よくわからない」と言っているのを見かけるためである。
なんでそんなに「よくわからない」のだろうか。
「君の名は」では構成の難解さ、「天気の子」ではテーマの難解さ、「すずめの戸締まり」では設定の難しさなど色々考えられるが、ではなんで毎回楽しみに映画館に来ているのか。恐らくそれは恋愛要素である。
こう書くと身も蓋もないが、つまり自分たちが共感できるかどうかだと思う。
つまり恋愛の悲しさや嬉しさは彼らもよく知るところなので共感できる。つまりエモいのだ。
そして今作では恋愛要素が少ないため、共感するタイミングはすずめの震災体験である。
これは私の感覚と想像でしかないが、幼少期の自分と関係のない重大事件は印象が薄い。
所々で震災を追体験できるような描写があれば、現実味が増すだろうか。
しかし忌避感を覚える人も多いだろうし難しいだろう。
一方避難所で母親の情報を聞いたり、震災の日もなんてことない普通の朝だったこと、ある程度記憶がある人々には刺さる演出があった。
こればかりはむしろ若い人に伝わっていて欲しい。

ロードムービーとして

ご都合主義といえばご都合主義である。
軽快といえば軽快なロードムービー
まず、未成年が身一つで旅をすることに現実味がない。大抵追い返されたり、通報されると思う。
流れるよう現れた足役。
九州や関西、東京に向かうまでは地域の特色があって良かったが、それ以降ももっと描写が合っても良かったのではないか。
東京から流れるように現れた足役。
車内の人物同士の雰囲気がよく描写されていた。
最後に自転車に乗るのも開放的で良い。
ただロードムービーに必要な「旅感」は欠ている。

総評

「君の名は」から続く恋愛偏重を解消できていて、主人公が自分で自分を助けるというのはのはすごくいい点。
震災のテーマも大体伝わったのと、考える機会を与えてくれたことも良かった。
ただ自然災害を事実上天罰として扱うのは、どうかと思う。
閉じ士の設定も脆弱性がある。
問題点が個人的には大きかったので評価は低めだが、全体を通して悪い映画ではない。
もっと叔母との関係にフォーカスしても良かった。


追記
ダイジンはかわいいが
サダイジンはもっとかわいい